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はじまりの風景

机を囲んで飲み食いをしながら、ふっと発された一つの問いがすべての始まりだった。

「編集ってどうやるんですか?」

 

と、なっちゃんに尋ねられて僕(大谷)は考え込みました。なっちゃんは、けんちゃんこと小林健司さんのパートナー。なっちゃんとけんちゃんは、とある積み木の紹介サイトを作るために、積み木製作者の話を聞いてきました。その長い長いインタビューを文字起こしして、サイト用に短くまとめようとしているのだけれど、どうもうまくいかない。

 

 なっちゃんの疑問はだから、どうやれば長いインタビューをサイト用の短い文章にできるのかという具体的なものだけど、その時僕は、実際的な編集作業について答えればそれでいいとは思えませんでした。なっちゃんは話を聞くとどうもそういう感じではない。

 人の話を文字にして、切ったり貼ったり並べ替えたり削ったりとやっていくうちに、だんだん何をどうやっているのかわからなってしまった。そしてついには、そもそもこんなことをしていいものなんだろうか、人の話を切ったり貼ったり並べ替えたり削ったりするなんていうことをしてもいいものなのだろうか。なっちゃんは、そう戸惑ったのだと思います。

 その戸惑いに対して、具体的な編集のテクニックを答えても意味がありません。たとえどんなにそのテクニックが「華麗」であったとしても、そもそもそれをしていいということの根拠にはならない。僕はその時、困った挙句、とりあえず「編集する以上は、なっちゃんがいいと思った、なっちゃんが面白いと思ったようにやるしかないし、それでいい」というようなことをかろうじて言ったはずです。もちろん、全然答えにはなっていないのですが。

 それから何ヶ月かして、けんちゃんとなっちゃんがまたやってきました。「この間の積み木のサイト、まだできなくて。だいぶ短くしたけど、もうこれ以上どうしようもないから、こっから先頼むわ」。けんちゃんはそう言うと原稿を置いて帰っていきました。

「え? それ僕がやるの?」と思ったのだけど、けんちゃんのこういう一見無遠慮なところ、僕は嫌いではありません。なぜか必ずと言っていいほど、その後面白いことが起こるのです。

 

 そうして原案をサイトになるぐらいの分量に削り、見出しや写真キャプションをつけて、こんな風にしたらどうかと返しました。幸いそれが評判が良かった。

「自分ではこれ以上無理だったのに、どうやったらこんなことができるのか。それを講座にしてくれ」と二人に言われました。僕は、あまり講座などが上手にできる方ではないのだけれど、まぁ自分でやったことだから、それぐらいならできるだろうと、気軽に引き受けました。

 でも、開催までの約一ヶ月間、胃が痛くなるほど困りました。自分がやったことをどうやったら説明できるのかわからない。もちろん、具体的に「この部分を削りました。この部分を付け足しました。この部分を動かしました」とは言える。それだけでなく、編集の様々な技術を体系化、類型化することもできる。でも「どうやったらこんなことができるのか」に答えている感じがまったくなかったからです。

 結局、講座の三日前に「もうダメだ。編集技術を解説するのは一切諦めよう」と決心しました。そして手元に何もなくなってしまった。僕が編集をしようとするとき、なぜ他人の書いた文章を切ったり貼ったり入れ替えたり削ったりできるのか。なぜそれでいいと思うのか。なぜそんなことができるのか。最初のなっちゃんの戸惑いに戻ってしまったのでした。

 それから、これまで編集してきた経験を必死に思い出しました。そして、前日の夜、ようやく気がつきました。

 

 と言っても、当たり前のことです。僕は原稿が来たら、とりあえず、まず読む。読んでいる。これは絶対にやることです。この最初の「読んでいる」ということによって、その後の作業が可能になっている。こんな当たり前すぎることを、それまで意識したことがありませんでした。

 この最初に読むときの感じは、あえて言えば「ただ読む」というものです。予断を入れずただ読む。その「ただ読んでいる」ことの確かさによって、後のことができる。原稿に手を入れて触ることができる。

 これをそのまんまぶちまけてみよう。なぜなら僕はこの、最初にただ読むというのが好きで、面白いと思っているから。気がついてしまえば、それだけは確かなことだと言える。

 そんなのは面白くもなんともないよと言われればもうそれまで、と覚悟したつもりでしたが、当日僕はほとんどうつむいたまま、とても講師とは言えないような態度で、たどたどしく、長い沈黙を含みながら、ようやくそれを話しました。そして、来てくれた人と一緒に、積み木サイトの原案を「ただ読む」ことをやってみました。僕が面白いと思っていることが、出来る限り面白いようにやったつもりです。

 でも、講座が終わったとき、僕にはなんの手応えもありません。なにもないところに放り出された気分でした。それを、けんちゃん、なっちゃんは「いや、面白かったよ。ぜひ、定期的にやろう」と言ってくれたのでした。

 最初のなっちゃんの戸惑いがなければ、この講座は存在しません。けんちゃんの思い切りの良い行動がなければ存在しません。それどころか、僕は今でも自分が本当に面白いと思っていることに気が付くことすらできないままでいたはずです。

大谷 隆

歴史

2015年

3月29日

「じぶんの文章書くためのゼミ」として初開催(場所:「スタジオCAVE」大阪市)

4月24日

以後月一回(5/29、6/26、7/24)「『書く・読む・残す』探求クラス」と改称し、第一期4回開催(場所:「スタジオCAVE」大阪市)

9月19日、20日

「『読む・書く・残す』探求合宿」を実施(場所:「東山の和室」京都市)

11月14日

以後月一回(12/5、2016/1/16、2/13、3/12、4/16、5/14)「「読む・書く・残す」探求ゼミ」として、第二期7回開催(場所:「スタジオCAVE」大阪市)

2016年

4月1日

ゼミでの探求をもとに雑誌『言語』発行開始

6月25日、26日

「読む・書く・残す・探究ゼミ<2DAYS> in 東京」を「東西ゆくくる」の一環として開催。初の関西以外での実施(場所:「たぬき村」世田谷区)

12月4日

「『読む・書く・残す』探求ゼミ 1DAY in まるネコ堂」を開催(場所:「まるネコ堂」京都府宇治市)

2017年

1月28日

以後月一回(2/26、3/25、5/28、6/17、7/30)第三期6回開催(中)(場所:「まるネコ堂」京都府宇治市)。
 

4月22日、23日

「『読む・書く・残す』探求合宿 inすぺーす ひとのわ(比良)」を開催予定(場所:「すぺーす ひとのわ」滋賀県大津市)。

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